八丁堀のまち・歴史

八丁堀ってどんなところ?八丁堀の歴史や気になるスポットについて、クローズアップします。

今回のテーマは コチラ☟


八丁堀 ~地名の由来~

中央区教育委員会 案内板「八丁堀(桜川)跡」より

江戸時代初期、この地に開削された割堀の長さが八町(約873m ※1町=60間=109m )あったことから、その周辺を「八町堀」と呼ぶようになり、その堀名に由来して「八丁堀」という町名になりました。(町の字は、後に略字の「丁」となります。)堀を境に北側の地域一帯を本八丁堀(北八丁堀)、南側の河岸地一帯を南八丁堀と称し、広範囲にわたっていました。 

この付近の堀は明治になり「桜川」と呼ばれ、関東大震災後の復興事業を経て新桜橋・桜橋・中ノ橋・八丁堀橋・稲荷橋が架けられました。水路は江戸時代から戦後まで存在し、利用されていましたが、1960年(昭和35年)から段階的に埋め立てられ、1969年(昭和44年)に完全に姿を消しました。

子どもだった当時、桜川に船が浮かび、その周りで遊んだ思い出を八丁堀の旦那衆はよく話してくれます。

埋め立てられた土地には現在は桜川公園、中央区いきいき館、桜川保育園、ブーケ21などが建てられており、2022年6月には、もと労働スクエア東京跡地に京橋図書館などを含めた複合施設本の森ちゅうおう(仮称)が完成する予定です。  (八丁堀おかずマルシェ スタッフs記)